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    戦争の記憶

    • 2014.07.22 Tuesday
    • 20:49
    ひょうたん ひょうたん実がついた、かわいい!

    先日広報の取材で大野見の老人ホームを訪ねた。
    大正11年生まれの方に戦争の体験談を伺うためである。
    毎年夏には特集を組んで体験談を載せているのだが、
    なにしろ皆さんご高齢、早く行って話を聞かなくては!とあせって取材に。
    編集委員5人がいままでに聞いた話を元に、あれこれ聞きだそうと質問するのだが・・・・

    「何がいちばんたいへんでしたか」
    「戦地ではどういう生活をしてましたか」
    「とかげとか、食べました?」
    「終戦を知ったときはどう思いましたか」等々


    あれ、ほとんど話してくれない。
    「軍艦那智の信号兵だったから・・・」
    「忙しくてそれどころでは・・・」

    期待していた話はほとんど聞けず一同拍子抜け感が。
    ちょっと遅かったような。

    図書館に寄って彼が前に書いた文章を探す。
      
      「地獄の彷徨」 吉門記清  より抜粋
    昭和14年6月1日 私は(中略 )佐世保第一海兵団に入団、海軍四等水兵となる。
    新兵教育も終わり、三等水兵に進級。横須賀市泊の海軍航海学校へ第一期生として入校する。
    ここでは航海術、手旗、ラッパ、モールス信号、艦隊運動程式、電磁気学など海軍の全般常識を毎日詰め込まれた。

    十六年、連合艦隊「那智」乗組員となる。

    十七年、呉第六特別陸戦隊として、ソロモン海域の島々を点々と回る。
    十八年八月、ムンダ最後の引き揚げだった。
    ジャングルは焦土と化し、緑は見るかげもない。
    ラバウルに上陸、第八八警備隊として再編される。
    そしてニューライルランド島、ガビエンビスマーク諸島、ニューギニア島を回る。
    ここも激戦灼熱の下、爆撃、艦砲射撃で焦土と化し食う物もなく、
    トカゲ・カタツムリ・貝・草木の実などを食う。
    毎日餓死する者が多く、部隊は解散して行動するようになる。
    餓死する者は皆、耳、目、口、鼻などにウジが湧く。
    そのウジを取り除く気力がなくなれば三日で死ぬ。
    私も膝より下が熱帯潰瘍になり、立ったまま小便ができなくなる。
    それに一時間に一回は傷口のウジやヒルを取らなければならない。
    そうした毎日の行動中餓死寸前に現地人の捕虜となる。
    自殺者もいたが、多くの者は戦死ではなく、餓死である。
    (中略)
    小隊長と二人で死ぬことを考え、捕まって四日目に巻煙草を各自二十五本ずつ水に浸して飲んだが、
    五時間苦しむだけで正気にかえる。
    次の晩とうとう首を吊る。これも首を吊る紐はなく、防暑服のバンドに千人針をつなぐ。  
         ( *せんにんばり【千人針】とは。意味や解説。一枚の布に、千人の女性が赤糸で一針ずつ 縫い、千個の縫い玉を作った布。出征兵        士の武運長久を祈って贈った。日清・日露戦争 のころ始まり、日中戦争以後盛んになった。千人結び)
    この千人針が朽ちて二人とも現地人の便所に落ちる。
    その後ニューギニア収容所に入り、次にオーストラリア収容所に送られる。
    二十一年三月三日、シドニー港出港。四月四日浦賀入港。八日大野見に帰る。
    この間十九年より戸籍には朱の斜線が入り、戦死となっていた。弟妹も二人生まれていた。

    (平成元年印刷)


    「え〜、ほんとに同じひとですか?」ほかの編集委員さんに思わず聞いてしまった。
    実際の戦闘の経験はないにしろかなりの体験をされた方のようである。
    「戦争はよくないことだと思いますか?」の質問に、
    「ひとをいじめたらかならずかえってくる」とさいごにぼそっと言われた。

    ほんとうに辛かった過去のことは忘れないと生きていけないかもしれない。
    「星がきれいだった・・・とか楽観的なひとのほうが長生きできるらしい。」とも聞いた。

    でも戦争を知らない私達は、そういった話をちゃんと聞いて知っておかなければ。
    わたしが小さい頃、上野に行くと(必ずといっていいほど)軍服を着た腕や脚のないひとが座ってアコーデオンを弾いていた。
    「もうずっと前に戦争は終わっているのになんで?」と子ども心に思ったものだ。
    上野=それ  くらいわたしの記憶に焼きついている。
    (今思えば、あれは在日の韓国の方で恩給がもらえないからああするより仕方なかったのかもしれない。)

    わたしの母もよく疎開中の話をしてくれた。
    今度ちゃんと聞いて書き留めておかなくっちゃ。


    スイレン














     

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