日曜は松山の集会へ
かんかん照りだったのに
にわかに暗雲が・・・
雷雨となりみんなで近くの東屋に避難するが、強風のため ずぶぬれに。
やむなく屋内へ
福島をはじめ、広島、鹿児島などからも
伊方原発で事故があれば、四国に限らず瀬戸内海・向かいの九州 要するに西日本は終わりであ
る。この日の夜は再稼動阻止全国ネットワークの立ち上げもあるとか。
どこの原発も危ないのは一緒である。連携してより大きな力となりたい。
みんなの熱い声は、めげていた私のこころに響いた。
雨があがって少しだけデモ
集会の中でだれかが、「砥部に活断層が見れるところがありますよ。」といったのを思い出し
帰り道に寄ってみた。
衝上断層公園 へぇ〜知らなかった
実物はこちら
ギザギザの辺りが最も新しい岩石・・・だと思う
これ発見したひとすごいなぁ、なんでわかるんだろ??
とにかく川に垂直に活断層が走っていた。
翌日は近所のお年寄りが亡くなってお通夜へ。
愛媛では何度か経験があるが、矢井賀では初めて。
勝手がわからない・・・どうしよう。
しかも天理教のお宅である。天理教のこと、調べてから行けばよかった。
家にあがるとみんな遠慮して後ろの方に座ってしまい、
やむを得ず親戚でもないのに最前列へ。
棺の近くには鏡が・・・・そうか神道系か。
宮司さんのようなひとが2人出てくる。
黒い、羽織と袴が引っ付いたような着物にアイヌのような刺繍。
4回ぱんぱんして(柏手のこと)にぎりこぶしを両脇に着いて礼をする。
式は「御霊移し」
ことばだけかと思ったら、実際に1人が棺の顔のところにかがみこんで(紙でできたマスクのような
ものを着けて)細長い入れ物?に移して?いた。
もちろんご焼香もないわけで、榊を台に置いて4回ぱんぱんで礼。
最後にお顔を拝見しておしまい。(写真撮れなくて残念)
帰ってから即Wikipedia お葬式のことはでてなかったけど
1838年(天保9年)12月12日(旧暦10月26日)、森神社(現在の三島神社)にて
中山みき〔40歳〕に親神天理王命が憑依。親神の
やしろと定まり、その口を通して親神の意志が伝えられることになる。
教義・教理 [編集]
人間がこの世に存在するのは、親神が人間の明るく勇んで暮らす「陽気ぐらし」
を見たいからであり、親神の守護と恵みにより、人間は生かされており、天然自然が存在すると説いている。人間は、親神が見たいと説く陽気ぐらしの実現のた
めに、親神によって生かされているという謙虚な気持ちを持ち、欲を捨て、平和で豊かな世界を目指すことが重要であると説く。
「人間の身体は親神からの「かりもの」(借り物)と説き、心だけが自分のものであると説く。心の使い方によって、ほこり(埃)
がたまると説き、自己中心的な心づかいを慎むよう、また親神の思いにそって身体を使わせていただくことが重要であり、ほこりを掃除するように説いている。
親神からの「かりもの」であるそれぞれの身体を、陽気ぐらしのために惜しまず使っていくことが大切とされている。また、すべての人間関係は、親子・夫婦関
係を基本として培う事が理想であるとされている。
「ひのきしん(日の寄進)」は、日々健康に生きられる事を親神に感謝し、その感謝の意味を込めて、親神のために働くことをいう。具体的には、教会の清掃活動をはじめ、地域における奉仕活動等が行われている。
「つとめ」(かぐらづとめともてんりおうのつとめとも呼ぶ)という祈りを通して、親神への感謝を捧げ、世の中が陽気世界への建て替わっていくことを願う活動。
病気や怪我の人に信者が教祖へ「おさづけ」を取り次ぐことによって治癒・回復が出来るとしている。
信仰する神が輪廻転生を司るため、人には前生・後生があり、生まれ変わるという死生観がある。教団では、死ぬことを出直しと呼称し、人間は死亡しても、またこの世に生まれ変わるからと説いている。
いろんな宗教があり、いろんなしきたりがある。
社会勉強の2日間であった。