年末あんまり寒いので大晦日の激安チケットで千葉の実家に避難。
まあ、何ヶ月も前に予約していたのだがこれが大正解。
機密性ゼロの障子の世界から一気にマンションへ。
しかも窓から毎日この夕焼け
以前はこの向こうに愛する富士山も見えていたが
後からできた建物のせいで今は見えない・・・・残念。
とにかく、
ほとんど外出もせずぬくぬくと暖かい正月を母と過ごして帰途に。
前回果たせず、今回来る時は窓側ではなくて撮れなかった
これ
わ〜い!
わたしが窓にへばりついているのを見て、前の席の人が
「あれって富士山ですか?」と聞いて来た。
「はい、今日はすごくよく見えますね。」
大満足。
でもこころなしか真ん中がひどく陥没しているような。昔からこんなだったかしら?
テレビで、自然崩落が進んでいて形が少しずつ変わってきていると言っていたのが気になった。
四国山脈もなかなかの眺め
正月中、母といろんな話をしたが
ほとんどは昔のこと。
年寄り=昔話 は常識だが、その理由が少しわかったような気がした。
年を取るにつれ外からの刺激や新しい情報が入らなくなって、
(必要としなくなるしメモリーカードもいっぱい)
たくさんの思い出(自分の歴史)のなかで残りの人生を静かに生きる、ということなのだろうか。
「あのとき〇〇がこう言った。」という記憶は誰しもあるが、
考えてみると何十年(母の場合は80年)もの人生の中で
それはほんの数秒のでき事にもかかわらず、死ぬまで覚えているわけである。
ある意味おそろしいこと。
うかつなことは言えない。
とくに感情的になってぼろっとこぼれたきつい一言は
相手のこころに突き刺ささる。
大抵の場合、言った当人は覚えていない。
言われた方はその記憶から「一言」を削除できずに一生を終える。
「あ、あれはこういうことだったのか。」と
その「一言」に新たな解釈を付けられれば、削除できるのかもしれない。
子どもの頃の記憶は断片的なシ−ンでしかなかったが、
母の話からそれに状況説明が加わって、断片が少しづつ繋がっていく。
祖父母の歴史から父母の歴史・・・・それが今のわたしに繋がっていて、
そのわたしも自分のいままでを思い起こし、解釈をつけて処理していく時期になった。
そういえば実家で探し物をしていて、
祖母の通知表を発見。
なんと大正5年のものである。
3段階で甲・乙・丙
プライバシーの侵害ではあるが、歴史的資料としてはおもしろい。
ちなみに算数がずっと丙だった。
やっぱり
わたしのは処分しておこうっと。
将来孫に笑われないように。
帰り道、土佐市の夕焼けも最高!